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自分を振り返る〜30代後半まで。

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自分を振り返る
箸休め的な話しを。 旦那氏の叔母にいつも私の境遇を嘆かれます。 そんなに不便ではないよ?と思うのですが、元働いていた会社の人との会話の端々に どうしてそんな事知ってんの? とか ありえないほど経験してるね と...

23歳から26歳

無事離婚した私。

しかしここで私の病気が発覚します。

胃癌です。

離婚後、寝たきりでヒステリックに性格が変わった祖母の近くに小さな子供を置くのは無理という事で双子と3人で生活しようと決意した直後です。

双子は小学校入学直前。
離婚したての彼と彼の母親に少しでも子供への援助があると思っていたのですが、毎月の養育費2人で4万以上は貰えません。
小学校に入学する為の準備が全く出来ないのです。

その頃父と姉は一等地だった土地を手放し父は会社員、姉はパート。祖母はたまに帰宅するがほぼ入院という状態で家を建てるまで仮のアパート住まいでした。

姉と父を頼り双子は小学校へ入学しますが私は闘病の日々。

早く判明したので胃の一部切除と最低限の抗がん剤治療で済んだのは僥倖でした。

しかし、出産後に判明したあらゆる体調の変化。
今までなかった金属アレルギー、麻酔アレルギー、急な湿疹、食物アレルギー、低血圧症。普段の偏頭痛に加え何が出るかわからないアレルギーの数々。

薬物投与もアレルギーが出るために慎重に行っていましたが、そもそも麻酔アレルギーが術後に判明したので医者も大変だったと思います。

その間に祖母は亡くなりました。

3年後、体調も良くなった事から正社員で働く事に。
その少し前から出会った4歳年上の人とお付き合いが始まりましたが順調だったのは2年間。

彼の家に遊びに行くとお母様が頂き物のフルーツやお野菜をくださるので単純に子供達にという事なんだろうなぁ〜と思っていたのですが、思い込みでした。

「息子も30歳近いし結婚するの?病気も落ち着いたんでしょ?」

とお母様に聞かれて

「そのつもりです」

と、ハッキリお伝えはしていたのですが…。

彼に結婚の話をした時に子供がまだ小さいうちの方がいい。懐いているし。
そう言った私に返ってきた言葉が

「母ちゃんに子供いるって言ってないんだよな〜」

そこで気付きます。子連れで彼の家に行った事がない事を。
行こうとすると、何かしらの理由をつけて子連れで行かなくしていた彼。

別れの瞬間です。自分の親も私も騙していたのと同じです。

ここで再婚したわけでもなく同居しているわけでもないのに「付き合っている人が居る」という理由で元旦那が養育費を払わない宣言をします。

その頃なにかと相談に乗ってくれたり親しくしていたのが今の旦那氏です。

疲れ果てていたのです。。

彼と別れた事を知り、猛烈アピールする旦那氏。
アパートを出て新築で家を建て、父、姉、双子と私で住んでいる家に入り浸りになり、何故か夕食まで一緒に食べ始め、いつに間にか家族と仲良くなっていく旦那氏。

なんか仲良くなってるしいいかな〜なんて思っていたのです。
平和だったし。
父は息子が出来たみたいになってたし。
姉は私よりも4歳下の旦那氏を弟みたいにしてたし。
双子は戸惑いつつも旦那氏居ることに慣れてしまったし。

男の人が苦手で結婚しないと公言していた姉にあまり期待せず、婿にでも来てくれればなぁ〜と父も思っていたのでしょう。

そんな付き合いが1年続いたある日、家の近くを通る見知らぬ車が一台。

主人
主人

親父と母ちゃんだ…

フロントガラス越しに見える住宅地図。
住宅地図を頼りに息子があの辺に住んでる彼女と付き合ってるという情報で探して家を確認しに来たのです。

私は少しホラー感を感じました。
だって…住宅地図見て調べて家を「確認しに」って怖くないですか?
ストーカーみたいじゃないですか?

仕方なしにお母様だけには挨拶をする機会を後で設けました。

そして数ヶ月後。

突如現れたのです。前置きもなく義父と義母と知らない人が。

義父
義父

そろそろちゃんとした方がいいかと思って。この人は仲人です。

誰その人!?仲人って二人の仲を取り持つ人であって勝手にそっちで決めるもの?会ったこともないし!

不快を隠しもせず無言の父。溜息をつく姉。

不穏な空気を読んだ義母は早々に帰宅を促します。

義父
義父

結婚式の日取りとかそのうち追々と。

「結婚式はうちはもうしません」憤りの父。

3人が帰宅した後、呆れる父の空気で旦那氏は平謝り。
しかし、今まで何も言わずに住まわせていた負い目もあったようで結婚するなら早い方が良いだろうなという父の言葉で結婚生活へ突入。

結婚してから数年の間

同居で嫌な思いをした事がある事と、仲人連れて来た時の非常識さ、旦那氏から聞いていた義父のおかしな点があるのでアパート暮らしをする事に。結婚式しなかったから引越し資金出してくれるかな…と旦那氏の親に少し期待したが一切出してくれない。
義母が10万円だけお祝いとして出してくれました。
もちろん、他の必要品は私の実家と私達で揃える事に。

結婚生活最初の2年間、相談事や普段の会話でも何故か平行線で交わる事がない会話の数々。旦那氏の斜め上発言で私は円形脱毛症になります。

当時は夜勤もあった旦那氏。
昼間はアパートで寝るとアパート前の公園で遊んでいる子供の声で眠れないと月の半分は実家へ行き眠って出社という生活を繰り返します。

既に結婚失敗です。

基本世話焼きの私。あれこれ世話を焼いて子供へ対する愛情と同じ「無償の愛情」を注いでしまった結果、甘やかしてしまったのです。

唯一、元の旦那と違うのは仕事を休まず行ってちゃんと稼ぎボーナスも安定して出る事。月の半分は居ないので双子も旦那氏に父親という感覚はほぼありません。
この時双子は小学校5年生。見知らぬ土地へ引っ越したうえに転校。
可哀想な事をしてしまいました。

この間、友達2人が借金まみれになり任意整理と自己破産の手伝いをする。

社内結婚は部署移動という会社の為、私は退職。
金銭的に不安があったので公営のアパート応募をしていたのですが、抽選はハズレを何度も経験し旦那氏の実家のある田舎の公営住宅へ入る事になったのが非常に痛手。
未だに痛手。

私はフリーランスとして仕事を始めますが、不安定の為に正社員として働く事に。
※このフリーランス時代に役所の方々と面識が出来てしまい、過疎地域なので出ていくのが辛くなる。

フリーランス時期に義父の

「お前も30なんだからそろそろ子供を産んだほうがいい」

発言。私は子供はもう産まないし産めないと思うと伝えていてのこの発言です。

イザコザありつつ(かなり揉めた)三男を出産。
やはり思っていた通り麻酔アレルギーが出たうえに

痛みを我慢して死にかけた話
今日はおうちのお話ではなく、死にかけた話をフォロワーさんの真似をして書いてみました。 痛い!! そう思った時に、それはどのくらいの痛みか? 冷や汗は出るが意識はある。 痛いけど我慢出来るかと聞かれれば丸まって唸っているがまだ...

そして私の低血圧症も重症化し、朝起きると血が巡らず脚の感覚が全くなく上半身で這いずってお弁当を作ったり、いきなり意識を失う事も。

この間に双子も高校生。1人は高校が遠く元旦那の実家が近いという事で元旦那の実家住まいを希望し出て行く事に。
(元義母と双子は定期的に連絡を入れるようにしていましたが元旦那は一切双子に関わっておりません。実家からも出ていたようです)

そんな状況で会社の昼休み中、階段で一瞬意識を失い落ちてしまいたちの悪い全治3ヶ月の捻挫。病気に関しては会社へ報告済みではあったが上役からの印象は最悪だったと思います。

その間に父は脳卒中で倒れる。リハビリで良くなったり悪くなったりを繰り返し、最後には癌が発覚。家族が病気でと休みを申請するも、同居家族ではないと理由で嫌味を言われつつ休みを取っていたりしていましたし、体調不良で休憩中度々寝転んでいたのも不興を買っていたと思います。

迎えた3/11の東日本大震災。

私達部署は電子ロックの中閉じ込められます。
何も情報が入らず停電のまま。
双子とも連絡が取れるわけもなく、三男は幼稚園の延長保育中。
ロッカーに入れていたスマホを取り出し電話するも繋がらず。
情報をスマホで確認すればとんでもない状況が判明します。閉じ込められてから既に2時間経過しての情報でした。
青くなる私。お迎えはどうすればいいのか。電子ロック解除されても今のまま就業時間まで、指示があるまで離れの部署の休憩室から動くなという指示。

子供が心配です!と言った私に言った上役の言葉は

「携帯電話仕事場に持ち込んでるのか!!!」

という怒鳴り声でした。怒りのあまり「ロッカーに戻します!」と戻した後、指示され社員が集合している食堂まで歩いた記憶はありません。

覚えているのは集合した食堂では皆がスマホ片手に電話したり情報集めたりしている姿です。私は…みんなの前で大声で怒鳴られたのに。

その瞬間、倒れた私が薄っすら見えた面倒そうな顔をした上役が忘れられません。
その後周囲の反応も、あれはない。あの状況で酷い。ありえない。という言葉だったので救われましたが

その月から追加されたのは「緊張による手の震え」「不安時の動悸」「不眠」です。

頑張ってその後も数ヶ月仕事をしましたが、次男も高校卒業し就職したのでそれを機に私の実家へ移り住み私を支えていた旦那氏も限界に近かったと思います。
疲弊する旦那氏も仕事は辞めろと。頑張る必要ないだろ?と。
頑張って行けば状況は元に戻ると思っていたのですが、周囲の迷惑を考え退職しました。

この間には義母が乳癌になり手術→再発で骨に移転し亡くなりました。
一時退院時に洗濯をして二階に上がり、階段を転んで骨折してから間も無くです。
洗濯をさせる義父の正気を疑います。

唯一の癒しは三男の尻でした。
自らが「触る?」「お尻からでっかい●んち出た!見て!」
願うは今まだプリプリのお尻がまだまだプリプリで癒されるお尻である事を願うばかりです。

その3年後、夜次男からの電話。

叔母が昨日から同じ姿勢で動いてないんだけど…。茶の間で布団敷いて寝たままの姿勢で…。

脳内の血管が切れて即死だったようです。
自宅で亡くなった為に警察が来て鑑識まであり、解放されたのは明け方4時。
そこから救急車ですぐに病院へ運ばれ解剖→霊安室行き。
亡くなった状態を私は見ていません。一生の心残りです。
急激に痩せてビックリしていたのに。病気だって気付いてもよかったのに。
自分の事でいっぱいで、最後に会ったのは半年以上前。

寝たきりの父に代わって喪主は私です。
保険の手続き、葬儀の手続きも私1人でやりました。旦那氏は石。

その2ヶ月後、心が弱ったからでしょう。父も亡くなりました。
呼吸器の管を入れないと決めたのは私です。叔父も…もう楽にしてやっていいだろうと言ってくれたので救われましたが「入れません」と言った私は果たして正解だったのでしょうか。もう一度、目を覚ましてくれたら言いたい事もあったし、姉が亡くなった後の介護は私が精一杯するつもりでした。何も…出来なかった。たった2ヶ月しか。

もちろん喪主は私です。全て私がやりました。
残った家のローン。住宅金融公庫とのやり取り。生命保険の手続き。
介護医療関係の役所への提出物。細かい病院の精算や、どこにあるのかわからない通帳の数々の発掘。遺産相続。1円でも無駄に出来ないと、行政書士、司法書士さん頼まず全部調べてやりました。

明るい父でした。色々失敗はしてきたと思うし、父親としてダメな部分もあったけど。でも子供みたいな部分がある父が好きでした。双子と一緒に遊んでくれたり、慣れないキャンプに挑戦したり、ご近所に聞いて家庭菜園始めたり、料理を趣味に始めたり。

3歳しか違わないのに母親代わりに小さい私の面倒を見てくれた姉。
ダメダメだけど明るく泣き言を言わなかった父。
2人を一気に亡くした私は思い出すと未だに涙が止まりません。
今年は七回忌です。

そんな姉と父を「結婚してれば良かったのに」「結婚してればな」「父親も良い大学出たんだから役所にでも勤めれば良かったのに」「自営業なんてやるから」と笑って言う義父を許せる事はないでしょう。

あなたの息子も私が結婚しなかったら一生結婚出来なかっただろうよ!!

 

次回からは16日最終仕様確認打ち合わせの話から始まります。

ハウスメーカーのどこを選んだらいいか迷ったら間取りも一括請求、一括見積もりが出来るタウンライフ家づくりのサイトをお勧めします。私も一括請求しました。ハウスメーカーの比較検討の参考になると思います。
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